2016年3月28日月曜日

雪の笠山北尾根・2/11


 【雪の笠山北斜面】

 下段左:リュウゴッパナ(左端の突起) 下段右:七重峠(籠山のタル)より籠岩を望む

早いもので、山歩さん達と笠山山中を彷徨いながら北尾根から登ったのが数年前のこと。その北尾根に雪が降ったら再び来ようと思いつつ、なかなか機会に恵ま れなかった。自分の場合、気に入った山なら季節を変えて何度でも登る。まして比企の山の首座・笠山だ。奥武蔵の山の首座たる武甲山は最早、死に体といって も過言ではない。昭和初期まではあの谷川岳より厳しいと云われた北西壁も大凡削り取られてしまっている。一方、笠山にはまだ頂上に笠山神社の奥宮があり、 山中を林道が走り抜けてはいるものの、山の生気は失っていないように思う。江戸の方から見た笠山は女性の乳房のように見えることから、古くからの別称を乳 首山とも云うが、じつのところ、笹山と重なってそう見えるだけで、東秩父辺りから眺めると、また違った山容を見せるところがじつに良い。だから雪の笠山は ちょっとした憧れでもあった。このところ暖かい日が続いているが、先月半ばに降った雪も北尾根の中腹より上は未だ残っている可能性が高い。植林地帯は木々 が雪を受け止め、そこに日差しが当たると流れ落ちてしまうが、笠山北斜面は落葉樹林帯なので雪がそのまま残っていると見たからだ。だが、日増しに気温が上 がってきているので、今年はこれが最後の機会となるだろう。気温が上がって、一雨降ればもうこの望みは叶わない。

この日、少し出遅れてし まったが、関越道をひた走り、渋滞に巻き込まれながらも9時には小川町総合福祉センター「ぱとりあ小川」に車を停めた。本来は利用者に限り駐車可能だが、 帰りに入浴すれば良い。「ぱとりあ小川」から切通しバス停までさほどでもなく、そこからいつもの様に館川に沿って歩いて行く。そしてNo.467で栗山集 落に登った時と同様に笠山参道(長坂)へと足を向けた。長坂入口近くには笠山神社参道土地寄付者の碑が建立されていて、この参道が昭和十二年前後に整備さ れたことが分かる。前回この道を通った際に途中から日吉神社に向かってしまったが、その先がどこに続いているか確かめておきたい気持ちが多分にあった。恐 らく萩ノ平に繋がる林道栗山支線にぶつかるのは自明だが、かつては同じ方向に向かう旧道があったことを知りつつも通ることはなかったのだ。ともあれ、この 旧道が破壊されてしまったのは、最初に思ったような観光目的といったものではなかった。道中に別方向への分岐があったので、木材の搬出作業の為に拡幅され たものだろう。木馬道と云って昔は材木を搬出する際に沢沿いの道に桟道が架けられものだが、現在ではもっと手っ取り早く重機で搬出することが多い。旧道は もともと公道なので文句をつけられる筋合いはないし、旧道と云っても現在は殆ど通る者がいないからだ。唯一「中山間地域ふるさと事業」の学生さんたちが、 前回見かけなかった新しい指標を設置するなどして活動を続けてくれている。やがてその旧道も林道と交わり、神送り場を経て萩ノ平へと向かっている。また、 林道を跨いだ所には「笠山 尾根コース 2時間」の指標があり、山道がリュウゴッパナに連なる尾根へと続いていた。

じつのところ、こ の旧道を林道まで行くと栗山集落の素晴らしい景色を逃してしまうし、若干遠回りとなってしまう。しかし、件の旧道からは萩ノ平のリュウゴッパナがよく見え る。尾根がまさに龍の頭に見えるので、思わずその命名に感心した次第。そして林道から栗山集落に出て、道すがら畑仕事をするおばあさんと歓談する。栗山集 落は過ごしやすく十数軒の人々が暮らしているが、下の赤木集落ではわずかに2軒残っているだけらしい。恐らく前回見たあの豪気な屋敷の山大尽がそうだろう が、林業の衰退した現在では山間での暮らしはなかなかに難しそうだ。このお婆さんとの会話は楽しいひと時であったが、別れを告げた後に、まだ見ぬ笠山神社 の「猫の神札」について訪ねていないことに気づいた。うっかりして聞きそびれてしまったのだが、笠山探索は何もこれきりという訳ではないので、いずれそう した機会もあるだろう。さて、「笠山参道入口」の碑から今回は林道から笠山神社下社へと回り込む。するとそこには真新しい鳥居が建立されていた。笠山神社 の信仰も未だ潰えずと云ったところだろうか。そしてその先の、すっかり枯れてしまった鳥居松の所で一人のハイカーさんと挨拶を交わす。頂上付近の積雪量を 伺うと、凡そ20cmで軽アイゼンがあれば問題はないとのこと。すれ違った中にはそれすら装着せずに登っている人もいたそうだ。

標高 500m付近からは参道を離れ、笠山の懐深くに進んでいく。だが、雪の為に轍が消えて、前に通った際に目印と決めておいた雷除けの掛け小屋になかなか辿り 着かない。ともすれば、谷津に引き込まれそうになるのを抑えて上へ上へと足を向ける。地形図の破線は曖昧で、まるで当てにはならなかった。そうこうして無 事に雷除けの掛け小屋に辿り着いたので、アイゼンを装着してようやく笠山の北尾根へ取りついた。だが、植林地帯では雪もさほどでもなかったものの、落葉樹 林帯に入るやいなや足がズボッと雪にはまり込む。予想に反して雪はそれほど締まっておらず積雪40~50cmのモナカ状態だ。そこであらためてゲイターを 巻き雪山用のグローブを装着。しかし雪を掻き分けるというよりツボ足で進むしかなく、ピッケルとアイゼンよりも、スノバケを着けたトレッキングポールとワ カンの方がより適切であったかも知れない。とはいうものの、蒼天の下、落葉樹林帯は一面の銀世界。北尾根斜面は勾配もさほどきつくなく、高度を増すごとに 爽快な風景が広がっていく。そして悪戦苦闘しながら山頂付近の雪の吹き溜まりを超え、無事に山頂へと到着する。最後は笠山神社のお社が見えてもなかなか進 まず汗をかいたが、登ってしまえば素晴らしい展望が待っていた。だが時間の経過は容赦もなく、無雪期に40分ほどで登ったはずのルートだが、気づけば倍以 上の時間が掛かっていた。

笠山の西峰にある山名表示板からは白石集落への旧道を通らずに、通常のハイキングルートを辿って七重峠(籠山の タル)に出た。南斜面の積雪は20cmくらいでかなり雪も融けていた。予定ではあわよくば籠岩に再び登ることも考えていたが、時刻も14:30を過ぎてい たので今回は見送ることとする。籠岩周辺の雪の状況は笠山北斜面とほぼ同様で、登ったところで暗くなるのは目に見えている。じつは籠岩には籠穴という穴が あり、その周辺に自生するヒカリゴケが埼玉県天然記念物に指定されている。広報によると《堂平ヒカリゴケ自生地-堂平山頂近くの東斜面、通称「籠穴」の岩 陰に自生。平成10年度の調査では籠穴は見つからず、崩落したものと推察され、周辺の岩陰にヒカリゴケの生育が確認された。》とあり、山菜取りに来た地元 の人によって発見され、昭和3年に指定されたそうだ。しかし、林道栗山七重線は旧道を踏襲したものであり、道端に籠穴があったとは考え難い。また、『慈光 寺実録』は堂平山の古名を「遠一山」と伝えるが、これは仏教的な思想から名付けられたもので、一般的な呼称、とくに腰越では籠山と呼称していたのではなか ろうか。いずれにしても慈光寺の修行僧が籠岩周辺で籠行をしていた可能性はかなり高い。「また、籠山のタル」なる呼称もそうした視点から見れば整合性も出 てくる。一説には笠山中腹にあった釈伝寺の山号「加護山」に因むとされるが、まだ結論を出すのは早いだろう。そうして、少し休憩して峠から籠岩を見下ろし つつ雪山の装備を解いた。

七重峠からは白石集落を目指して大日向沢沿いを降る。そして間もなく林道萩殿線に出た所でこの舗装路を行く。件 の釈伝寺跡はこの林道沿いに存在していて、慈光寺研究では先行する隊長さんに所在地の詳細地図を頂いていたのだ。前述のとおり南斜面の雪は薄く、林中とも なると雪は微塵もない。が、残念ながらザックをデポして急斜面を登ってみても、廃寺の痕跡は見いだせなかった。また峠との位置関係からすると、籠山を加護 山とするには無理があるように思う。そんな疑問を胸に再び林道に戻って歩き出す。林道萩殿線はやがて林道白石線とぶつかり、さらに行くと白石側の笠山神社 参道と交差する。この参道を降れば「霧吹き岩」を経て白石車庫バス停まで行くにはわけもない。しかし、時刻表を確認する事を怠った為、バス停に到着したの は16:29発のバスが去った10分後のこと。次発のバスは19時で、前に山歩さん達と登った際に急かされたことを思い出した。やっちゃったなと思いつ つ、タクシーを呼ぶつもりも更々ない。じつは白石車庫発のバスは少ないものの、皆谷バス停まで行けば1時間おきにバスは来る。白石車庫バス停から皆谷まで はゆっくり歩いても30分ほどなので、単独行ではさほど慌てる必要もない。

皆谷バス停隣の商店でバスを待つ間、気の良いご夫婦に観音窟に ついてお話を伺う。(正確には観音窟のあったアク山(石灰石採鉱場)についてだが…)そして到着したバスに乗り込むと、運転手さんが前の白石車庫発のバス は満員だったと聞かされた。バスはそうした気楽な単独登山者3人ばかりを乗せ、暮れなずむ大河原谷を走り行く。ところで、「ぱとりあ小川」の入浴施設の利 用は18:30までとなっている。今回は滑り込みで間に合ったと思われたが、残念ながら係の人に丁寧に断られてしまった。けれどそれも想定内なので、そこ から15分ほど車を走らせて鉱泉民宿「かやの湯」へと向かった。かやの湯はここでも何度か紹介したことがあるが、鉢形城主・北条氏邦の頃(400年前)に 発見された鉱泉で知る人ぞ知る名湯。ただし便が悪く、公共の交通機関は東秩父村のコミニティバスしかないので、車でないとちょっと厳しい。到着するなり 「日帰り入浴まだ大丈夫ですか?」と問うと、女将さんはにこやかに迎えてくれた。このかやの湯の入湯料は500円で、凍えた心身が隅々まで温まったことは 今さら云うまでもないだろう。


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