2016年3月28日月曜日

堂平山籠岩探索その2・3/11


 【籠岩の岩頭付近から笠山を望む】

 下段左:雪の天文観測所 下段右:慈光寺後野参道・独鈷の井

 前回笠山を訪れて以降、風邪をひいて体調を崩したあげく、何だかんだと日程調整もできずに足が山から遠のいていた。いわゆる山切れの状態である。ところ で、奥武蔵研究会の委員会の折り、5月の山行計画を依頼されて思わず堂平山テント泊と言ってしまった。たが、短兵急に決めたので、「星と緑の創造セン ター」に予約の電話はしたものの、やはり現地は確認しておくべきだろう。じつのところ、奥武蔵にはテント泊ができる場所が殆んどない。あってもボーイスカ ウトやディキャンプの客を対象としているので、登山者はどこか場違いなのだ。もはや奥武蔵は林道だらけで日帰り出来ない山は無い。が、5月の平日ならば人 もキャンプの人も少ないだろうし、夏山の歩荷訓練くらいにはなるだろうと考えた次第。と、そんなことで一ヶ月ぶりに笠山周辺に足を向ける事となった。

小 川町駅には6:39に到着し、バスに乗り換えれば7:25には白石車庫バス停へ着く。しかし、先ほど小川町駅から眺めた笠山周辺の山々は、雪を被り白く 凍っていた。夜半に雪が降ったのだ。バスの乗客は勿論一人。午後からは天候も崩れそうなので、白石車庫に到着するなり直ぐに歩き出す。沿道には白石キャン プ場もあるにはあるが、いつも眺めるだけで問合せてみたことはまだない。林道を登って行くとやがて山道となるが、歩くには支障がないものの、見た限りでは まるで雪山の世界だった。籠山のタル(堂平口)に向かうにはいくつかのルートがあるが、細入の谷津から登るのが手っ取り早い。だがルートが短めなので、逆 に歩荷訓練とはならないかも知れない。ともあれ、積雪はわずかに3cmなので気を遣うこともなく、雪景色を楽しみながら8:20には篭山のタルに着いた。 堂平口というだけあって、この峠から30分も登れば堂平山山頂についてしまうだろう。そこでここから下の林道栗山七重線へと下り、前回断念した籠岩の頭ま で登ってみることにした。岩の上の平坦地が少し気になるし、尾根を登り詰めれば「星と緑の創造センター」の敷地内に出るはずだ。ヒカリゴケの籠穴は恐らく この尾根にはなく谷沿いにあるはずだが、またの機会にすれば良い。No.470に掲載した古図にある道は、順次考えられるルートを確認してフルイに掛ける しかないだろう。腰上地区で堂平山を籠山と呼んでいた可能性もまだ捨てきれてはいないのだ。

籠岩はいわゆる岩尾根で、雪の被った尾根を 登って行けば籠岩の頭へと至る。(ここでの頭は便宜上の仮称)だが、そこには地形図が描き出す程の平坦地はなく、古代寺院のあった痕跡はなかった。また籠 岩の谷は両側に露岩が多く、古地図の描き出すルートも未だに見いだせずにいる。岩頭からは雑木林が続き、雪化粧をした笠山を何度も振り返り見ながら小川町 とときがわ町の境界となる稜線に出た。この稜線には山頂へと道が続いているが、しばらく使われていなかったせいか、出口付近が篠藪に覆われていた。しか し、今回は篠竹が刈り取られていた為、難なく通過することができた。付近で伐採作業が行われているのだろう。国立天文台堂平観測所は10年程前にときがわ 町が買収し、「星と緑の創造センター」として再生した。山麓の都幾川河畔には「木のむらキャンプ場」があるが、ときがわ町では一番新しいキャンプ施設とな るわけだ。ともあれ、稜線の道はこのキャンプ施設の端に出るのだが、生憎と雪が覆っていてテン場がどこかよく分からない。そこで受付を訪ねてみると、係り の人が快く案内をしてくれた。良かったら…ということで天文台の宿泊施設も案内していただいたが、設備もよく整っていて最近では徐々に人気も高くなってい るそうだ。薄っすらと雪を被った875.9三角点を後にして、次に慈光寺へと向かってみることにする。篠藪を抜ければ稜線の道は防火帯のごとく下へと続い ている。じつはこの稜線に以前から気になる場所があったのだ。

境界の稜線を辿りながら降ると、標高700m付近に明らかに人為的に削られ た平坦地がある。それほど規模は大きくはないが、尾根は扇状に広がって段丘となっている。だが、仮に古代寺院があったとすると、ここからさらに先細りとな る道では心もとない。どうも古道は地形図にある標高700付近から南へと伸びる破線がそれらしい。が、今回はそのまま境界杭を目当てに七重峠休憩所へと向 かうことにする。途中、林道が見えるものの藪漕ぎを厭わずに稜線を下れば四阿の設置された林道の辻へ出る。そして、そこから伽藍を経る旧道に入るが、次の 林道を跨ぐ箇所はいつもと様子が違っていた。No.467で《「七重のヤマザクラ」にしたって、あれは下から眺めるものである》と書いた旧道は、ものの見 事に破壊されていて原形を留めてはいなかった。崩落した林道を補修する為の措置なら仕方がないが、下の墓地周辺の旧道まで重機で拡幅してしまう意図が分か らない。仮にハイカーに便宜を図ったとすればそれは逆効果となる。これは西武線沿線のハイキング道を見ればわかるが、人気のコースは殆んど手が加えられて いない。道標を設置すれば人が道を踏んで歩き易くしてくれるからだ。

せっかく遺されていた僅かな距離の旧道を破壊され、一人憤慨しながら 七重休憩所へと到着。ここで昼食休憩とした。堂平山山頂では明るかった空も、黒雲が西から急速な広がりを見せている。そして午後は、天気がいつ崩れてもお かしくない状況なので早めに出立をした。マツダランプの案内看板に「慈光道裏街道」と書かれた観音道を久しぶりに通る。旧道の傍らに建立された馬頭観音 は、相も変わらず頭頂部が樹木に呑み込まれた状態だった。そして鐘嶽をやり過ごして冠岩と座禅岩に着く。すると以前設置されていた大きな説明板は撤去さ れ、周囲の雰囲気に見合った小さな説明板が設置されている。こちらの方が訪れる者にとってはありがたい。そこから下の道には出ずに笠山と堂平山と並んで 「慈光三山」とされる都幾山(403m)へと向かう。風に乗って子供の声がするのは、霊山院が近いせいからだろうか。ところで、都幾山山頂付近には、やは り人為的に削られた平坦地が残る。ご存知の通り慈光寺は天文年間に後北条勢によって全山が焼き討ちにされ、この際に千手観音像も焼失した。後に観音堂は再 建されるが、観音様が建立されていた元の場所をフルカンノンと云う。そして都幾山の頂を降れば慈光寺観音堂の庭へと至る。観音様に詣でた後は、本坊へは向 かわずに後野への旧道を探った。

現在の下雲公会堂はかつての不動堂で、往昔には慈光寺への裏参道が続いていたはずなのだ。そこで過去に何 度か挑戦したのだが、確かな道筋が確認出来なかった。(七井・七石は所在地が旧都幾川村資料編に付録されている)ならばこの際、慈光寺から下雲公会堂を目 指して見てはどうだろう。恐らく裏参道は、寺周辺に点在する慈光七井や七石を繋げば良いはずだ。そうして、まずは「丹花の井」へと続く旧道を辿った。慈光 寺の僧坊跡は本坊の北側にも遺り、その傍らに丹花の井がある。そしてさらに下り道となって後野川を渡ると、上古寺へ向かう旧道との別かされとなった。そし てこの分岐を川沿いに降り、右手に冥官岩に見ればほどなく「独鈷の井」に着く。但し、ここで道は行き止まり。その先はミカン園の敷地で立入禁止となってい る。確かに左岸は少し先で切れ込んでいて、旧道が通っていたとも思えない。すると旧道は独鈷の井のから後野川右岸に道をつけていたのだろう。独鈷の井を跨 いで藪と化した道を50mほど進むと、左岸に墓地が見えて来た。恐らく一昔前まで橋で繋がれていたのだろう。この墓地までは何度か訪れているので、後は民 家脇の車道を行けば良いだけだった。後野川は下雲公会堂付近で松郷川と合して、県道273号線に沿って流れる。そこから西平交差点までは15分ほどで、県 道172号線との交差点には公園下バス停がある。西平交差点に到着したのは15:20。公園下のコンビニは閉店してしばらく空いていたが、「ときがわベー ス・サイクリングサポート」と云う施設になっていた。

旧都幾川村村営バスは、玉川村と合併してときがわ町になってイーグルバスに移管。路 線が拡大されたおかげで便利になりましたね。以前は決まって役場前(現第二庁舎)で乗り換えて越生駅に向かいましたが、近頃ではせせらぎセンター発武蔵嵐 山駅行を利用しています。快速急行も小川町~東松山駅間は各駅に止まりますので、これに乗車すると池袋駅まであっという間ですね。


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