2016年5月13日金曜日

棒ノ嶺白谷沢から仙岳尾根・5/7


 【白谷沢のゴルジュ】

下段左:槇ノ尾山分岐 下段右:倒木にまみれた有馬の大淵

昭文社エリアマップ『奥武蔵・秩父』」は’17年度に大改訂の予定となっている。何度か担当者のYさんと棒ノ嶺に登っているが、紹介予定の白谷沢コースに用いる写真は、やはり新緑の頃が良いのでは?…という事で、先だってご一緒させていただいた美人のUさんにお付き合い願った。奥武蔵は森林限界を超える山などないので、木々が育ってしまうと眺望はもうない。かつては炭焼きの為の落葉樹林や生活燃料とするカヤトが残されていて、どこか郷愁を誘う鄙びた展望と、そこへ誘ってくれる旧道や峠が魅力であった。しかし、現在では落葉樹も伐採されてしまい、かつての耕作地には杉桧が植林され、林業に使用されない名ばかりの林道に、古い旧道も寸断されてしまっている。だから奥武蔵をより楽しむためには、歩くだけではなく調べることが肝要なのだ。とくに江戸期以降、ほぼ壊滅したと思われる修験道が関っていた、人々の生活に根差した民間信仰についてはかなり興味深いものがある。

当日は6:00に都内のコンビニでUさんと待ち合わせ、彼女をピックアップして関越自動車道に乗る。今回はコースが確定しているし、気まぐれなコース変更もないので自動車の方が都合が良い。鶴ヶ島JTCで圏央道、そして狭山日高ICから県道70号線はいつもの通りで、「名栗農林産物加工販売所」の駐車場には7:20に到着。7:40には白谷沢を目指してダムへと向かう。ところで、今回初めて気づいたのだが、この駐車場には「登山者の駐車はご遠慮下さい」とあった。少し迂闊であったが、車利用の場合は「さわらびの湯」の利用を前提として、第1・2・3駐車場のどれかに駐車するしかないだろう。そしてその際、一般客に迷惑の掛からないように配慮するのは当然だ。また今回のように、棒ノ嶺に自動車で訪れる登山客やハイカーは少なくないので、「名栗農林産物加工販売所」隣の敷地が駐車スペースとして利用できるように望みたい。1日500円くらいなら利用者にとってもありがたいのではないかと思う。

棒ノ嶺登山口となる白谷橋付近にも数台分の駐車スペースがあるが、本来はダム建設の際に設えられた工事車両の為の路側帯のはずなので、お勧めするのもどうかと思う。また、この登山道の入口には「白谷の泉」と書かれた古い指導標がある。一昔前のガイドブックにも書かれているので、Yさんが白谷橋の袂に降りてみたものの既に涸渇していたそうだ。そもそも有馬谷が湖底に沈んでしまっているのだから、記録にして残しておくだけで良いと思う。有間ダムが竣工したのは1986年だが、最早そんなに遠くない話…とも云えなくなってしまった昨今だ。ところで、この白谷沢は、もともとの小字が白岩(しろや)である。名栗の奥、浦山の冠岩が本来は冠谷(かむいや)であるから、この例とは反対に文字が転訛しているわけで、発音的には白岩(しろいや)なのであろう。また、ハイキング道の有様はどうかというと、容易に古くから用いられていた旧道だったと想像ができる。とくに馬頭観音などの石仏があるわけではないが、沢沿いの道中には炭焼窯跡が二つほど残されているからだ。奥武蔵や秩父では古くから炭焼きと養蚕で生計を立てていた家が殆んどであった。出来上がった炭を山から搬出するのは女性の仕事で、この道もかつては炭を背負子に満載した婦人が何度も往来したに違いない。

さて時刻は8:30となり、藤掛の滝から牢門と呼ばれるゴルジュに出る。そして、その先に天狗の滝があり、岩場に設えられた鎖場を経て白孔雀の滝の落ち口へと至る。ここが白谷沢コースのクライマックスになるわけだが、残念なことに5月連休に入ったばかりの1日に滑落事故が起きたそうだ。滑落場所は不明だが、鎖場にも注意喚起の真新しいプレートが多く見られた。当然ながらYさんの撮影の指定場所もこの周辺が多く、Uさんをモデルとして人物を入れたものと、そうでないものを撮影しておいた。掲載写真の選択は昭文社の担当者さんによるので、どんな誌面になるかは発行後のお楽しみというわけだ。前にUさんは美人の上にタフだと書いたが、林道大名栗線に設置されたベンチ(かつての四阿)で少し休憩した後、岩茸岩、権次入峠と順調に登って山頂には10:10に到着した。棒ノ嶺は飯能方面の展望が素晴らしく、また奥多摩町からも登ってくる登山者もいるので、奥武蔵の山頂としては賑わっている方だろう。それが新緑の映える連休中となればなおさらだ。山頂では他の山岳会の知人と偶然にも出会ったが、普段であればそのような機会もあまりないはずである。

山頂で休憩した後、前回のように槇ノ尾山から仙岳尾根を降って落合へ向かうことにする。Uさんには、奥武蔵の龍神の住処を案内すると云ってあるので、大淵に立ち寄るにはこのコースを降るのが手っ取り早いのだ。棒ノ嶺のある都県境界尾根の下名栗側は、殆んどかつての御林山か村持ちの入会地であり秣場であった。つまり個人所有の山林ではなく、村人たちの共有財産となっていた歴史が現在も落葉樹林が残る理由なのだろう。その新緑の中を棒ノ峰山頂から西へと向かい、槇ノ尾山から仙岳尾根伝いに降る。前回、道中で見かけた趣味の悪いオカルト的な標識は無くなっていた。また、地形図にもルートが記されているものの、どうも生活道と云う感じはしない。道は稍々急だがそれも展望台と云われる所までで、まずは未舗装の林道大名栗線へと無事に降り立つ。そして再び尾根道を降るが、とくに難しい箇所があるわけでもない。しかし、季節によっては分岐を見落とす場合も無きにしもあらず、なので雪に埋もれる冬期の山行では注意したい。

また、降路に「仙岳尾根(別名:カタギ尾根)」と云うプレートがぶら下がっていたが、これは間違いで、長尾ノ丸から派生する北側の支尾根を(小字)堅木尾根と云う。よくある勘違いには違いないが、そんなことより気になるのは仙岳尾根西側の「志於知久保」と云う小字。上名栗の白岩集落付近にも塩地窪と云う同音異字の谷津があるが、地形的には近いものがあり恐らく意味は同じだろう。だとするとショウジクボとは何を意味のだろうか?障子窪か、或いは精進窪なのか…ちょっと興味深いものがある。仙岳尾根を降りきると「有間渓谷観光釣り場」へと至る。ここの自販機で飲料水を買って少し休憩する間、釣り場の人から四方山のお話を伺った。話の様子からしても、有馬の大淵も昔は深く碧く今よりずっと神秘的だったことが窺い知れる。因みに、行政では現在のところ有間山、有間峠などと用いているが、『新編武蔵風土記稿』等の文献では有馬山と記載されているので、ここでは準拠して「有馬の大淵」と書くことにしている。

棒ノ嶺山頂から落合までは1時間30分ほど。有馬の大淵はそこから1.2Km、林道有馬線を歩いて15分ばかり行った場所にある。「峠の旅人」でメインコンテンツとして紹介した後、地元の有志の方々のご尽力で指導標も整備されたので、探す気になればすぐにでも見つかるだろう。が、今回訪れてみると流木が重なり、流石の龍神様のご神域も荒れ放題の有様だった。思い余って淵に近づき、片づけようと試みるも道具がなければ手に負えない。仕方なく14:00に撤収するが、心なしか、いつの間にか空も雨模様。龍神様が何を思うのか、凡なる人の身では計り知れない。が、現状のままでは良いはずもないので、7月には正式に奥武蔵研究会の山行として「有馬大淵清掃」を行うことにした。何分にも雨天中止は勿論だが、ご神罰を恐れない参加者を募るつもり。作業は全て人力に限るのは当然だ。その前に、地元の人たちで清掃していただければ何よりだが…。帰路はいつものように名栗湖畔に沿って歩き、15:10にはさわらびの湯へ到着した。

Uさん、今回もお付き合いありがとうございました。最後の小雨は想定外でしたが、これに懲りず次回もよろしくお願い致します。


0 件のコメント:

コメントを投稿