2016年7月6日水曜日

有馬の大淵―清掃遡行・7/2


【神秘的な雰囲気を取り戻した有間の大淵】
下段左:太さ30cmの流木を何本も切り刻む 下段右:作業に没頭する参加者の皆さん

5月初旬にUさんと棒ノ嶺に登り、仙岳尾根から有馬大淵に行ったところ、大淵は倒木だらけの有様だった。雪で倒れた木々が大淵に流れ着いて引っ掛かってしまったならば少し量が多すぎる。何故なら雪が降るのは例年のことで、何年か訪れないことがあったにせよ、これほどまでに荒んだ状況は見たことがない。恐らく地元の人が定期的に清掃していたのかも知れないが、さしもの龍神様も嫌気がさしてどこか遠くに行ってしまったようにも思える。前に奥武蔵研究会の顧問であった春日俊吉氏の記述を掲載したことがあったが、ここで再び紹介させていただくことにする。

 『山と高原』86号(昭24)  「奥武蔵のエチケット」 春日俊吉
    一、人間像の恢復
昔を思うと何も彼も駄目でウス汚くヨゴれている、というのがどこの場合でも適用する概念らしい。ヨゴれているのは元より人間の心であって、奥武蔵の小ちゃくて低いけれども、あれでも立派な大自然の一部なのだから、あくまでも清浄で無垢である。花も咲けば、鳥も歌うし虫も鳴く。例の尾崎士郎君が、機嫌のよいときよく歌った文句の通り、まったく「青きはサバの肌にして、黒きはヒトのこころ」かも知れない。
  奥武蔵・奥多摩・奥高尾と、なにが奥だか私もまだよくはわからないが、これらの山々は土曜日の午食の席上で、忽ち談判一決して、それからのこのこ出発のプランに着手しても結構間に合う場所だから、地理的にひどく恵まれている一方ずいぶん種々雑多な人々が登山をする。阪神地方の六甲や生駒山、京都の東山、西山とよい勝負であろう。誰だって、生まれてすぐオトナになる者はない。みなこういう手近な所から山歩きのABCを習得して、しかる後に二千五百米、三千米級の山や雪や岩壁へと進む順序である。
  そこでたまたま、標題のようなトピックの存在価値が生じてくる。登山のエチケットは所詮人間の問題だ。尾崎士郎君の歌のように、果たして人間のこころが黒いと相場がきまっているならば、山は永遠に荒れるだろう。長い間の戦争で、われわれの心象はとかく唯物論に傾きかけている。ここ当分は山もキレイにならぬと私は思う。大部分の日本人が「人間像を喪失」してしまったのだから、山が荒れるのはやむを得まい。
  なんとかして一日も早く、人間像を恢復させるべく努めねばならぬ。神さまを、もう一度この地上へ取り戻すことである。私は天性のオプティミスト(楽観主義者)だから決して前途を悲観しない。間もなく人のこころも黒の一点ばかりでなく、赤くも白くも桃色にも、ピンク色にも恢復するものと信じている。だから編集者のこういう難問題にたいしても、忽ち破顔一笑、二つ返事で以下の一文を執筆する。他人さまが人間像を蘇生させるのを待つ前に、まず自分だけでも山を愛しつつ、相も変わらずにこにこと笑顔をつくって、私の可愛らしい山・奥武蔵をそぞろ歩こうと思うのである。(二、三は省略)

この記述は戦後すぐに書かれたもので「人心が唯物論に傾きかけて」いたかどうかはわからないが、当時の人々がどす黒い戦争に束縛された生活から解放され、敗戦と引き換えに自由な感覚を取り戻したことは確かであろう。ゼロからの復興とはいえ新しい時代の幕開けとばかり、人々は貧しいながらも活気に満ち溢れていた。自分は戦後に幼少期を過ごしているので、今の世の中には随分と閉塞感を感じている。ルールなど作らなくとも世の中には道理というものがあって、これに暗黙裡に従っていたから日本人の美徳が生きていた。だがいつの間にか利己主義とやらが横行し、気が付いてみたら格差社会の中で見て見ぬ振りをしながら暮らしている。まさに「人間像の喪失」したようにも感じられ、今さらながら70年も前に書かれた春日俊吉氏のメッセージが的を射ていると思う。と、何やら大げさになってしまったが、荒んだ大淵の状況を見るに偲びず大掃除をしなければ気がすまなくなっていた。他の山岳会においては、どこも清掃山行を行っているし、奥武蔵を主な活動フィールドとしている奥武蔵研究会が清掃をするのは当然ともいえた。とはいえ、流木や倒木の処理はそう簡単なものでもない。ベテランはもうご高齢であるし、高山に登りたがる若い人たちはそういったことには無関心である。参加者はそう多くないとみて用意した鋸鎌(しかも百均)は5本だけ。少しセコいようだが、草刈りをする範囲は限られているし、実用というより記念品といった意味あいなのだ。

さて、当日は600に車で自宅を出て730には「さわらびの湯」駐車場に到着した。普段は平日のこととて気にも留めなかったが、週末となると流石に「やませみ」の駐車場は満杯である。集合は飯能駅に850分であったが、そちらはサブリーダーのYさんにお任せして937に到着するバスを待つ。もし予定通り少人数ならば、バス停でメンバーをピックアップして落合の「有間渓谷観光釣り場」まで行ってしまうつもりであったからだ。参加者は自分を含めて5名ということだったので、9人乗りの乗用車では全く問題はない。だが、参加者の皆さんから「どうせ来たのだから歩きたい」との声があり、湖畔を歩いてまずは落合へと向かうことになった。途中、カヌー工房手前で古参会員のS氏が車で待っていた。S氏は今回の大淵清掃にあたり、事前に市役所に連絡して掃除後のゴミの処理などについて折衝してくれていたのだ。これで参加者は6名。現地まで歩くと伝えるとS氏は一足先に大淵に向かうといって車を走らせた。さわらびの湯バス停から落合まではおよそ1時間で、有間渓谷観光釣り場には1050に到着した。当初はゴミが出た場合に、この観光釣り場に置かせていただくことになっていたので、係の人たちに声を掛けがてら挨拶をする。大淵はここから林道有馬線を辿って20分ほどの距離である。

渓流沿いに林道を歩いて20分ほどの場所に、「竜神淵」と書かれた指標がある。但し、今の時期は雑草が繁茂しているので道は藪の中に埋もれている。つまり、大淵を掃除する前にまずは歩く道の草刈りから始めなければならない。そしてこの作業の為の「鋸鎌」であったのだが、ペラペラのノコギリ鎌は川辺に到着する頃には刃がクシャクシャになっていた。そして川辺にシートを敷いてそこをベースとしてザックを置く。Yさんにはノコギリ、カマなどを用意しておくよう連絡したが、一般の参加者の方には軍手とゴミ袋しか伝えていない。大淵には10本近くの倒木や太い流木が集まり、龍神宮脇の木も川に倒れ込んでいる状態だった。勿論、岩に洗われていたりまだ葉っぱがついていたりと様々だ。もし仮に龍神様がこの淵にいたならば、こんな状態にはしておかないだろうと思われた。それからは愛用のノコギリを持ち出して、流木を手当たり次第に切り刻む。なかでも厄介だったのは淵の中心部に倒れ込んだ枝ぶりの良い桜の木で、枝の高さ7-8m、幹回り25cmが沈んでいる。こればかりは水に浸かって伐らなければどうにもならない。幸いにして沢装備であったので腰までなら何でもないが、大淵の核心部へ行くと足が川底の砂礫にズズッと吸い込まれそうになる。神山弘氏の記述によると、砂防ダム工事の作業員が悪ふざけで発破を投げ込んだら暴風雨になったとあるので、本来ならば大淵に入ることだって生きた心地はしないのだ。

昼食休憩をしたのは1240で凡そ30分ほど。自分は流木となった丸太をひたすらノコギリで寸断していたが、他の参加者の皆さんも細かく枝を落として纏める作業や、空き缶を拾うなどして作業に没頭し、すべて終了したのは1540のことだった。用意した土嚢にゴミやら落ち葉を詰めると7袋分で、S氏によると路傍に置いておいても、後で市役所に連絡すれば引き取りに来てくれるとのこと。(後日、場所がわからずS氏に何度も確認の電話があったそうだが、大淵は旧名栗村なので無理もない)当初は一人で作業することも考えたが、やはり会員の皆さんにも参加していただいて良かったと思う。普段の山歩きとはまた違った体験をして皆さん喜んでいた。一人でやったら2日間はかかっただろうし、おかげで大淵も神秘的な雰囲気を取り戻すことができたようだ。その後はS氏に「さわらびの湯」まで送っていただき、残ったメンバーでひと風呂浴びた。さわらびの湯の週末は大変に混雑していたが、参加者は皆、心地よい充実感に溢れていた。
参加者の皆さんお疲れ様でした。そしてどうも有難う。

10年ほど前に書いた雨乞い龍神紀行は、若干手直しして「峠の道標・編」としました。下記に掲載しましたので、有馬の大淵に興味のある方はご一読ください。

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